ネパール

    世界の最高峰を望む。
    沈黙の世界に言葉が出ない。神々の座を実感する。


                   エベレスト      撮影:高木尚夫氏

エベレスト
      
ブータンからヒマラヤを望む  撮影:池上清子さんUNFPA東京事務所長


ポカラ・サランコットの丘から

夜明け:ポカラ・サランコットの丘から


アンナプルナ(左) マチャプチャレ(右)


作成:宮下廣治氏


ネパールに魅せられたもう一つの理由:OKバジさん

 
ネパールの首都カトマンズから国内線、バス、ジープを乗り継いで3日、東パルパ地方にあるドリマラ村というところにその人は住んでいます。
  そこは、4年前までは電気も水も来ない村だったのです。それでもこのドリマラ村は他の山奥の村々よりずっーと恵まれています。なぜなら、その村には15年前からその人が住み始めたから。
 その人のお陰で、村には学校ができ、図書室ができ、お母さんたちは山羊を買って現金収入を得ることができるようになりました。病気の子が助かり、火事で食糧が無くなった家族がお米をもらうことができました。
  たくさんの日本人が学用品や古着、毛布、いろいろなものを持って村を訪ねて来るようになりました。そして、村始まって以来のできごともありました。それは、低カーストで最貧家庭の女の子が日本の善意の人々から奨学金をもらい、大学で勉強し、女性のリーダーとなって活躍するようになったのです。
 さて、そのネパールの人々にとって神様のような方の名は、OKバジさんといいます。日本名、垣見一雅さん。
 垣見さんは、ヒマラヤが見たくてネパールへ行き、雪崩に会い、九死に一生を得ました。その後、何度かネパールを訪れれるうちに、山で世話になった青年の故郷ドリマラ村に滞在するようになりました。そこで村人たちの貧しい暮しを見て、まず小さな寺子屋を作りました。生活の向上は、幼児教育から。高校の英語教師をしておられた垣見さんは、何より教育の大切さを説いたのでした。
 最初のうちは現地の言葉のマーガル語がわからず、なんでも「OK、オッケー!」と返事をしていたために、いつのまにか、子どもたちから「OKバジ」とよばれるようになった垣見さん。今ではOK Baji, Palpa, Nepal で手紙が届く有名人になりました。ちなみにバジとはおじいさんの意。当時まだ40代の垣見さんでしたが、今でも平均寿命59歳の国では仕方がないことかもしれません。
 村の生活が向上し、活気に溢れてくると、周囲の村々からもいろいろな要請が来るようになりました。
   垣見さんは、年に1度日本へ戻り、友人、知人にネパールの山奥に住む貧しい人たちの話をして、支援を募る全国行脚の旅をされています。年々支援者や団体が増え、支援する村も増えています。今でも年に200日以上、寝袋を背にほとんど徒歩でネパールの奥地の村々を歩いている垣見さんです。「しんでいるんですよ」とおっしゃる垣見さん。
 私は、ネパール3度目にして、やっと念願のドリマラ村を訪問することができました。優しい村人たち、素直で好奇心丸出しのキラキラと輝く目をした子どもたち、ゆったり流れていく時間。厳しい自然と隣り合わせの村人たちの心の中に、桃源郷が見えたような気がしました。

ドリマラ村から
うわさのOKバジさん ドリマラ村 一面の菜の花畑
村への移動はジープで 天まで昇るだんだん畑 お昼を戴いた家
日本の支援でできた学校 子どもたちの笑顔に会いに
明るい教室で勉強中 本を読む兄弟(撮影バジさん) 日本の支援でできた水タンク
荷を背追うのは女性の仕事 遠来の客のために
水汲みは女・子供の仕事 通学路 食事は一日2回
村の朝 (撮影高木氏)


ネパールは観光国を再確認
古都・バクタプール ボーダナート スワヤンブナート
古都・バクタプール 王宮跡
ルンビニはお釈迦様の生誕地
カトマンズ市内 古都タンセン ルンビニ



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